社長の出張日記:フランスのMIRECOURTミルクールを歩いてみました①

国際楽器社の松永です

たま~に気が向けばヨーロッパ出張の事を書いております

フランスのミルクールっていうところに行ってきました

 

【MIRECOURTという街】

弦楽器専門店なら必ず取り扱うオールド・フレンチバイオリンですが

お恥ずかしながらミルクールに行ったことがなかったので行ってみることにしました

 

ミルクールはパリから東へ300㎞、

アールヌーボーで有名なNANCYに近い小さな村です

NANCYからの鉄道は廃線になってしまい、国鉄SNCFが運営するバスでしか行くことができません!

このバスに揺られて1時間でミルクールへ!

ミルクールのバスターミナルに到着、そこは駅?でした

すでに廃線になっている駅舎がバスターミナルになっています

ミルクール全景

 

1900年をピークに1960年まで工房製(分業製作した)の楽器の名産地として超有名

戦後は工房製作の楽器はドイツのブーベンロイト勢に押されて、衰退していきます

現在はいくつかの弦楽器工房が残るのみです

では歩きながらであった工房(跡)をご紹介します

 


フランス・ミルクールは18世紀から20世紀初頭にかけて世界で最もヴァイオリンが製作された街

現在でもいくつかの弦楽器工房が点在しています

人口6000人の小さな町なので半日あればおもな見どころを徒歩でまわることができます

【Albert DEBLYE】
アルベルト・デブレイ、デブライエ

1874Vosgue-1929Mirecourt

ミルクールのいくつかの工房で修行を積み最後はGAUTIÈに師事
1900年工房設立
間もなくH. MEUNIERとともにA Deblaye et H Meunierを起業
1918年VUILLAUME DARTEとCUNINとともにLéon MORTINを継承
1929年Albert Deblaye没
彼の没後も工房は継続し楽器製作しました

ALBERT DEBLYEラベルのほか、いくつかのブランドを製作したことが知られています
René BAILLY René BERNARDEL PECCATTE Paris SALTARELLO SIMOUTRE VEZUVIENNEなど


【CHROTTE APPARUT-HILERE】
ひとつの建物で3世代の弦楽器工房が引継がれています

【Georges APPARUT】
ジョルジュ・アパリュー
1877Vosgueー1948Mirecourt(Vosgue)

弦楽器製作者CaussinとPaul Baillyのパートナーで製作者のLeon Apparutを父に持つ。14歳に時に楽器製作の見習いを始める
1896年19歳の時に彼は父の工房を離れLyonのPaul Blanchardポール・ブランチャードに師事
1900-1902年ブリュッセルのGeorges MOUGENOT工房で働く
1902年末MirecourtのMarc LABERTE工房に入り1921年まで芸術監督の地位に
1924年から1925年まで、彼はアヴィニョンのPOUZOLLEの助手を務める
1925年Victor Joseph CHAROTTEのワークショップを引き継ぐ

極めて小さな工房で2-3名の製作者と1名の助手で製作
Charrotte、Blanchardの影響を受けた赤オレンジ色の特徴あるアーチの楽器

【Paul Hilaire】
ポール・イレール
1906Vosgue-1967Mirecourt(Vosgue)

1948年にGeorges APPARUTが亡くなるまでメインアシスタントをつとめる
Etablissements APPARUT&HILAIREの社名としおもにチェロを製作、当初一人で製作
1957年AmédéeDIEUDONNÉ工房が閉鎖の時Jean EULRYがPaul HILAIREのアシスタントして加入
1967年Paul HILAIRE死去
1977年にJean EULRYが引退するまでAPPARUT夫人とともにP.HILAREの楽器は製作


【Joseph CHANOT】
ジョセフ・シャノー
18世紀の弦楽器製作者
ジャンヌダルク広場の前に工房



【Léon MOUGENOT】
レオン・ムジェノー
1874Mirecourt-1954Mirecourt(Vosgue)

Emile LAURENTに師事
1887-1894ベルギーブリュッセルのGeorges MOUGENOT(父の従兄)に入門
1894-1896リヨンのPaul BLANCHARDに師事
1896-1898Paul JOMBARDに師事
1899年までロンドンのHILL商会で働いた
のちミルクールのV.Hugo通に工房をひらく

彼の工房作もしくは彼本人作の楽器にはいくつかラベルのバリエーションが見られます
*Léon Mougenot
*Léon Mougenot Jacquet Gand(彼の妻の名前)
*Léon Mougenot Gauché(彼の母の名前)
*LéonMougenot Copie de A.Stradivarius

彼はパリの弦楽器工房Phillepe DUPUY、また弓作家のE.SARTORYと親戚関係にありパリの工房とコラボレーションした楽器を遺しています

Philippe DUPUY, Chales ENEL, Pierre ENEL, René JACQUEMIN, Jean-Paul JOMBAR,Max MILLANT, Jean STRIEBIG,
Marcel VATELOT, Gustave VILLAUME, Carlo and Leandro BISIACH.

【Jerome Thiboville LAMY】
ジェローム・ティボーヴィル・ラミー
J.T.Lとも称されます フランス最大の楽器メーカー
幅広いブランド・価格帯で弦楽器を製作しました

工房跡はミルクール駅のすぐ向かいにあり、現在はヴァイオリン製作学校となっています

1834年 Charles BUTHODシャルル・ブソッドがミルクールに工房を開く
1848年 HUSSON-BUTHODの名でCharles-Claude HUSSONシャルル-クロード ウッソンと工房を共同経営
1857年 Louis Emile Jerome Thivobilleルイ・エミール・ジェローム・ティボヴィルが木管楽器の開始
この新しい会社はHUSSON-BUTHOD-THIBOUVILLEという名前となる
1866年 JérômeThibouvilleがこの会社のオーナーに
1867年 JérômeTIBOUVILLE-LAMY(妻の名前)をとり社名とする
1896年 Alfred Acoulonアルフレッド・アクロンが楽器製造を担当するため参加
1908年 Emile Blondeletエミール・ブロンドレーが経営に参加
(彼はフランスの木管楽器メーカー・ビュッフェクランポンの創業一族)
1969年 JérômeTHIBOUVILLE-LAMYとして閉鎖、現在は高等学校および製作学校に

どうでしたか?
歴史に残るメーカーの工房が隣り合わせだったり、当時のやりとりが目に浮かぶようです
ミルクールを歩いてみました②に続きます

文:松永歓